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ふぐ食が解禁されたのは肝が据わった女将のおかげ

日本では縄文時代の貝塚から骨が見つかるなど、フグは遥か昔から食べられていたと考えられている。ただ、フグには毒があるため、食べることが禁止された時代もあった。きっかけは安土桃山時代の朝鮮出兵。武士が九州に集結した際、フグによる中毒死が相次いだ。そのため、豊臣秀吉は河豚食禁止の令を出した。江戸時代になると解禁されるも、武士に対しては禁止する藩もあった。明治時代になると解禁されたが、再び中毒者が増え、明治政府は明治15年に「河豚を食うものは拘留科料に処する」※1とする違警罪即決令により禁止した。

転機が訪れたのは明治20年12月。初代内閣総理大臣である伊藤博文氏が下関を訪れ、春帆楼に宿泊した際、時化のため魚が獲れず、仕方がないから処罰を覚悟で女将がフグを出したところ、伊藤氏はその美味しさに驚き、「こんなにうまい肴を食わせない法があるものか」と、当時の山口県知事に解禁を命じた。
それから大正7年に兵庫県、昭和16年に大阪府と、その解禁の輪は広がり、全面的に解禁された。柔軟な対応をした伊藤氏の功績も大きいが、思い切ってフグを出した女将の功績もとても大きい。

引用元:※1=レファレンス共同データベースー(1)/参考元:レファレンス共同データベースー(1)/参考元:レファレンス共同データベースー(2)/参考元:ふくの本場下関-ふく食の禁止と解禁の歴史/参考元:春帆楼-世界と日本のふぐ事情/参考元:NHK for School-縄文人の食べもの

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