ダチョウ倶楽部は1985年に結成。肥後克広(ひごかつひろ)氏、寺門ジモン(てらかどじもん)氏、上島竜兵(うえしまりゅうへい)氏のお笑いトリオ(3人組)としての活動期間が長いが、元々は電撃ネットワーク(パフォーマンス集団)の南部虎弾(なんぶとらた)氏も含むカルテッド(4人組)だった。南部氏が初代リーダー(2代目リーダーは肥後氏)で、ダチョウ倶楽部と言う名前も南部氏が付けた。当初はキムチ俱楽部という名前だったが、テレビ局の関係者から使いにくいという理由で変えて欲しいという要望があり、当時”たけし・所・鶴太郎・とんねるず(頭文字が”たちつてと”の芸能人)”が流行っていたため、濁点ではあるが”た”を使いダチョウ倶楽部と名付けたそう。脱退の理由については必ずしも定かではないが、南部氏によると、当時の南部氏は失礼な言動を売りにしていて、相手によっては好まれず、ただならぬ雰囲気になることもあったそう。他のメンバーもフォローに入らず、方向性の違いもあったのか、詳しい事情は不明だが、気が付いたら他の3人で活動することになっていたとのこと。当時を振り返った際、南部氏は事前の挨拶など、関係性の構築に尽力していれば・・という思いも打ち明けていた。いずれにしても、その後、ダチョウ倶楽部はダチョウ倶楽部で、南部氏は電撃ネットワークでそれぞれ成功を収めている。
0146
コメント